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ボビー・バレンタイン監督の凄さが分かる名言・語録集!評価も高い名将のリーダーシップ論から人生哲学まで

2019/06/19


平成の時代までで、過去に日本のプロ野球で監督に就任した外国人はわずかに9人。うちチームを優勝に輝いたのは3人だけです。その中で更にメジャーリーグでもチームをワールドシリーズまで導いた名将がボビー・バレンタインです。

千葉ロッテ・マリーンズの監督として2度の監督就任で、最初はメジャー流のやり方、次は日米折衷のやり方で、チームに変革をもたらしました。メジャーリーグでは1シーズンに18回の退場記録を持つ激情家でありながら、日本に統計アナリストを連れてきて、分析的に打順を125パターンも組み変えるなど、熱さと冷静さを兼ね備えた監督でした。

バレンタインに感化された小宮山悟、西岡剛といった選手が、その後メジャーリーグに挑戦し、またバレンタインもメジャーでは小宮山の他、新庄剛志や吉井理人らを受け入れ、監督退任後も様々な形で日米の懸け橋となり、2018年の叙勲で旭日小綬賞が贈られています。

今回は日米で評価の高い名将、ボビー・バレンタインの凄さが分かる名言や語録を紐解き、そのリーダーシップ論から人生哲学までに迫ります。

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ボビー・バレンタインについて

まずはボビー・バレンタインの経歴を追ってみます。

1950年5月13日生まれ、アメリカ合衆国コネチカット州出身。高校時代からアメリカンフットボールと野球の選手として注目され、様々な大学からスカウトされますが、1968年のメジャーリーグのドラフトでロサンジェルス・ドジャースから1巡目指名を受けて入団

主に内野手としてマイナーリーグのオグデン・ドジャースでMVPとなり、その後もスボーケン・インディアンスで活躍し、1971年にメジャーのロサンジェルス・ドジャースに定着。1973年には移籍したカリフォルニア・エンジェルスでスターターを勝ち取り、打率も3割を越えていましたが、足のケガで離脱。レギュラーにはなれませんでした。その後は内外野を守るユーティリティプレーヤーとして通算10年間プレイします。生涯で441安打、12本塁打、打率.260でした。

その後、ニューヨーク・メッツのコーチを経験し、1985年にテキサス・レンジャースの監督となります。しかし優勝には届かず、1992年に後の第43代アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュの手で解雇されます。

1995年に千葉ロッテ・マリーンズのGM広岡達朗の召致で、監督に就任。チームを10年ぶりにAクラスに導きますが、広岡らと衝突。わずか1年で解任されます。

広岡達朗監督の凄さや性格が分かる名言!リーダー論や人生哲学にも迫る

 

1996年にはマイナーのチームから、シーズン途中でニューヨーク・メッツの監督に就任。2000年にはシーズン2位からポストシーズンを勝ち抜き、ワールドシリーズまで駒を進め、惜しくも敗れます。

2004年に再びマリーンズの監督となりますが、1998年にはプロ野球ワーストの18連敗、2002年には開幕11連敗など長期低迷を続けるマリーンズを、シーズン4位ながらも勝率5割越えを達成させます。翌2005年、日替わり打線といわれた選手や打順を固定しない戦術で、シーズン勝率2位でプレーオフに進出し、リーグ優勝。更に日本一にも輝きます。

1995年の第1期を含め、通算7年間指揮をとり、Aクラス3回。リーグ優勝、日本一共に1回という記録以上に、固定観念にとらわれない日米ハイブリットな戦術は、プロ野球ファンに大きな衝撃を残しました。

マリーンズ退団後の2012年、名門ボストン・レッドソックスの監督を1年勤めた後は、日米親善に貢献し続けています

 

私が選ぶ、ボビー・バレンタインの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「誰かに頼るのではなく、全員が信頼しあって戦う。これがウチのチームであり、チームスポーツというものなんだ」

マリーンズの野球スタイルについて問われ、バレンタインはそう答えています。2005年に日本一になりますが、当時低迷するチームには突出したスター選手はいませんでした。結果、統計を駆使し、125パターンもの日替わり打線が組まれました。

 

「日替わりのラインナップを組んだのは、チームとして戦う意識を植え付けるほかに、自信を持たせたいという狙いもあった。打線のどの部分からでも点が取れるチームにしたい。そのためには選手が自信を持ってくれないと。打順などには関係なく、自分も得点に貢献する力がある選手だと自信を植え付けようとした」

「どの選手も自分が一番重要な選手だという意識をもってプレーしなければならない。ひとりの特別な選手がなんとかしてくれるだろうと当てにするのではなく、全員が自分は勝者になれるのだと信じ込まなければ勝てないからね」

その結果、2005年のマリーンズには10勝投手が6人、3割打者も4人(わずかに規定打席に足りないレギュラークラスの3割打者が他に2名)も出るという、驚くべき結果をもたらしました。

チームの主砲というイメージの4番に、巧打者を入れて「つなぎの4番」と呼ぶことがありますが、その戦術もこの年のバレンタインの手腕から生まれました。

2番のあり方など打順についてはいろいろ論議はありますが、ひとつの戦術を確立させた功績は大きいと思います。

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【名言語録その2】

「変革など目指してませんよ」

1995年に来日した時には、日本的な長時間練習に批判的でしたが、2004年に再来日した時には、日本的な夜間練習を取り入れました。どうして日本的なものを受け入れたのかと記者は聞きたがりましたが、バレンタインはそれを一蹴しました。

「変革というのは、何が正しくて何が間違っているかをすべて知りつくした上でなら起こせるでしょうが、私はすべては知らない。私たちは、ただ自分たちの信念に基づいて取り組んでいるだけなのです」

バレンタインは日本で成功する秘訣として、有用だと感じるものは日本的なものでも取り入れていきました。それは日本で成功する選手やコーチにとって共通のポイントと言えます。北海道日本ハム・ファイターズで監督をしたトレイ・ヒルマンは、当初送りバントはしない方針を示しました。しかし結局は、郷に入っては郷に従えということで、選手が納得する戦術として、送りバントを受け入れ、日本一になりました。

 

「日本の投手はツーストライクを取ると、必ず1球外してくる。打者もウチにいかない。審判も難しい球は全部ボールにする」

最初はそう首を捻っていたバレンタインの鋭い観察力は、日本の野球への批判に向けるのではなく、戦術に生かされました。里崎智也によれば彼が2番に入った時、バレンタインは1番の西岡が出塁すると、早いカウントでは盗塁ケアのためにアウトコースが多くなるので、アウトコースをライト方向に打つのがうまい里崎なので、初球からライト方向に打てと意図を説明したそうです。

更にもし里崎を警戒して変化球が多くなった場合には、西岡を走らせるので、勝負強い里崎で点が入るし多彩な攻撃ができると言われ、2番起用について納得したそうです。

統計アナリストによる確率を妄信するのではなく、野球をよく見て考えた上で、確率も利用するのがバレンタインの野球といえるのでしょう。

【名言語録その3】

「若手ばかりのチームだろうが、スターがたくさんいようが、チームはあくまでもチームだ。そこに違いなんて何もない。監督としてのアプローチは、どこへ行っても変わることはない」

レギュラーを固定しない野球は、一部の選手からは不満の声も上がるでしょうし、いろいろと難しい面があるだろうと思います。経営判断という面でも、核となるスターが生まれにくいシステムに首を捻る人もいることでしょう。

2009年に監督解任となり、それに納得できないファンたちが、球場に過激な内容の横断幕を張る事件となり、その内容はやがて中傷というべきものにまでなってしまいました。今ではその応援スタイルから、多くの応援団がリスペクトするほどになっているマリーンズ応援団ですが、一部のファンの暴走に、バレンタインは理解を示します。

 

「私たちは千葉ロッテファンは世界一だと思っているし、26番目の選手として大事にしている。それでもリスペクトできない部分があるのなら、我々はもっとファンのことを考えていかなければならない」

その後、日本のプロ野球もファンの目線を重視したサービスを、積極的に取り入れる球団が増えました。それはバレンタインに限らず、日米の野球文化交流を推し進めて来た人たちの力によるものなのだと思います。

 

「初めての日本との接点は野球じゃなくて高校生のときだったんだ。高校でやった劇で、僕は日本人の通訳役を任された。僕が日本人の役だよ」

いつかバレンタインとは逆に、日本人の監督がメジャー活躍する日がくるかもしれません。

 

名言からの学び

・チームとしてプレーすることで、個々の力も引き上げられる。

・必要なものは取り入れる柔軟さが成功をもたらす。

・異文化の刺激は、更に大きな目標を生み出す。

 

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